夜明け前から

年中アイスコーヒー

明日へ

この冬で2回ほどボタンが取れてしまったせいで、100円均一ショップで買った針と糸でなんとか治療したコートをクローゼットの中に見送った。

家の玄関を開けるとすぐ前に駐車場があって、毎年この時期になるとそこそこ大きな桜の木が咲くようになる。目黒川の桜は丁度満開で見頃なのだけれど、この桜達は少しせっかちなのか既に葉の方が多い。ようやく、春が訪れている。

 

例年よりもひどい花粉症を患いながら、昨日は年度末の慌ただしい街に向かった。明日になればもう4月かと気付き、年が明けてからの3月までの体感速度はどうしてこうも早いものかと思う。

 

3月に新卒の就職活動が本格化してからは、リクルートスーツに身を包んだ就活生を見ることが増える。無数に会社がある東京に、全国各地から黒の軍団が訪れているのを見て、数年前は自分もたしかにその一味だったのだと思うと少し面白い。

 

社会に出てそれなりに小慣れた今はもはやその頃の記憶も曖昧になってきていて、就活生だったころの自分はどんな気持ちで東京という街を歩いていたのだろうと考える。

 

なぜ東京で働くことを選んだのか今となってはわからないが、何となく一度くらいは東京で働こうかなと思っていたに違いない。

その中途半端さや甘さが結果的に1社目の職場で自分を苦しめたのは言うまでもなかったが、兎にも角にもなんとか以前よりはしっかりと生きている。

 

大学時代の見知った後輩達も、いよいよ殆ど全員がこの春から働き出すという。不安と期待が込められたように、これまで何度か社会人はどうか、という質問ももらったりした。

 

それっぽい事は沢山言えてしまう。けれど、自分だってまだまだ完成したとも言えない。もしかしたら完成する日など訪れないのかもしれない。漠然とした不安だとか、ぼんやりとした息苦しさを抱えることもある。

 

ただ、紛いなりにもこの数年間で大切にしなければいけないことにも気付くことはできている。

 

それは心さえ、自由であればいいということだ。単純でありながら恐ろしく難しいことなのかもしれない。どうしても生活は何かに囚われるし、世の中は待つことなく色を変え続ける。取り残されたと感じたり、微熱のような苦しさがいつも心に纏わりつくかもしれない。

 

囚われ続ける生活の中で、それでも心が自由であるように。そんな風に生きていくことができればいいんじゃないかと、誰かに伝えるとしたら、多分それくらいだ。

 

自分自身のことを言えば、東京は素晴らしい街ではなくてもそこまで悪いところじゃない。そんな気持ちを忘れないように、また来年の桜を迎えられたらいいと思う。

 

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