夜明け前から

年中アイスコーヒー

新潟と無音の町

先週に東京を飲み込んだ大雪は、路地に粘り強く張っていたアイスバーン諸共すっかり消えていた。ただ、冷え切った空気は相変わらず残り続けていて、ビル風に乗せられたそれが体に染みることでようやく真冬の訪れを感じている。

 

今週の金曜から2日間は社員旅行で新潟に行っていた。この真冬に敢えて豪雪地帯へ赴くことには少し笑ってしまったが、普段泊まることのできないような宿に泊まることができたりとそれなりに楽しかった。何より今いる会社は御飯時以外は基本的に何をしていてもいいし、帰りは現地解散が昔からの伝統らしく、自由度が高くストレスフリーに過ごすことができた。

 

他の社員は宿を出た後皆帰っていたが、新潟には初上陸だったこともあり、せっかくだからと同期と共にその辺を観光して帰ることにした。とは言っても何か具体的なプランがあるわけでもなく、観光スポットのある日本海側に行くには少し距離があったので、結局行き当たりばったりの途中下車の旅をすることにしたのだった。

 

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積雪が2メートルの高さにもなる新潟に来て、ここに住む人達はあの程度の雪で騒いでいた東京を見て苦笑いでもしていたに違いないと感じた。地面に張り巡らされたスプリンクラーのようなものや、鋭角な屋根など、至る所で降雪に対応する仕組みが見えたのも新鮮だった。

 

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上越線のワンマンカーに乗ると、一駅間が5.6キロほどある。車窓の外は踏み入られることのない真っ白な雪の地面と、それを囲む山、そしてよく晴れた青空が流れていた。別に来たこともなければ雪国出身でもないのに郷愁に襲われたような感覚で、それが不思議と心地良かった。

 

この小さな旅で4つの駅に降り立ったが、持ち合わせたPASMOなど当然使えるはずもなかった。切符を買うという行為も、無人駅に訪れるのも久しぶりだった。一度降りてしまえば次の電車が来るのは1時間後で、テキトーに周辺を散歩をしたり、誰がこの駅前で買うのだろうという土産屋に入ったりして過ごした。

 

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唯一、いくら山の中とは言えど新潟だから海鮮を食べようという安直な目的だけがあったので、近くに美味しい海鮮丼でも食べられる店はないかと探した。

 

立ち寄った駅の初老の駅員におすすめはないかと尋ねると、190円の切符で行ける駅を降りた通りの先、十字路の右にあると言った。あと2分後に電車が来るから早く乗れと言われ急いで乗り込んだが、教えてもらった駅名を路線図で探すと、どこにもその駅がない。

 

あれは駅名ではなく店の名だったのかと調べてみたが、それらしき店もなかった。190円で行くことができたのは隣駅だけで、降りて探してみても海鮮のお店など一つもなかった。こちらが聞き違えたのかそれとも駅員の勘違いなのかわからないが、結局1時間ほど電車を待つことになった。よく調べてみると立ち往生を食らったその隣駅に有名な海鮮丼のお店があるらしく、駅員はもしかしたらそこを伝えたかったのではないかという話になった。ただそれが多分、行き当たりばったりの面白さで、こういうのも悪くないなと笑いながら次の電車を待った。

 

かくして到着した隣駅もやはり無人駅で、人の姿もほとんど見えなかった。10分ほど歩き、「鮨岡」という店に辿り着く。ランチタイムもあと30分ほどというタイミングだったが入らせてもらい、ようやく海鮮を食すという目的を達成することができた。

 

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店を出ると、青空は曇り空に姿を変えていて、少しずつ雪が降り始めていた。

 

2日間新潟にいて一番感じたのは、音が無い、ということだった。東京のような都会は音に溢れている。それは時に、ある意味氾濫とも言える、煩わしさを持った音かもしれなかった。ここでは人も車もその音も少なく、静かで、ひっそりとしていた。哀愁とも閑寂とも言える空気を纏った町を歩き、東京への帰路につくため、駅へと戻った。

 

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新幹線に乗ってしまえば、東京に1時間半もすると着いてしまう。トンネルを一つ抜ける度に雪は溶けるように消えてなくなっていき、代わりに高い建物が増えていく。

 

この会社に入って長い間できなかった同い年の同期と、なんてことのない取り留めもない話をしながら、ワンマンカーの数倍のスピードで流れていく景色を見送る。思い返してみても、あの何もない、いや何もなくてもよい町と空気に触れることができてよかったと思う。

しばらくはまた様々な音が飛び交う東京で、僕自身もバタバタと音を立てながら過ごすのだろう。またこういう旅に行けたらいいねと言うのは少し気恥ずかしくてやめることにして、西陽が現れ始めた景色を見つめ直した。