夜明け前から

年中アイスコーヒー

秋の空と群青

秋めいた空気が充満した朝が続くようになり、ようやく過ごしやすい日々が訪れた。夏の混み合う電車は地獄そのものだが、最近は幾分かマシになった。

混み合わない日が一年中ないであろうと思われる、ゆっくりと進む電車に乗って、僕は職場へ向かう。屈託のない日々、ありきたりと言うのが相応しい、そんな日常を僕はいま生きている。

 

こうしてブログを書くには、ある程度頭の中に「書きたい」や「書ける」事がなくてはならないのだと感じる。

言うなればインプットとアウトプットの繰り返しなのだと思うのだけれど、新しくブログを始めて一層「書くことないなぁ」と痛感する。

それはこの大きな変化のない平穏な日々によるものなのか、1から2や3を生み出すような感受性が衰えてしまったのか、あるいはそのどちらもなのかもしれないけれど。

 

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とはいえこの安定と平穏も、ありがたいことではある。

この話はどこかでゆっくりと形にするとしても、思えばちょうど一年前、僕は少しだけ精神と身体に支障を来していた。前の職場を飛び出すように辞めて、今の会社に入る間の時期だ。

 

あの頃に比べれば、いくらか余裕も生まれ、バランスのいい生活を過ごせるようになった。休む時間も格段に増え、色々な人に会えるようになり、色々な場所に行けるようになった。

いつだったかこんなに自由な時間があってもいいのかと零したら、「それが普通だ」と笑われた。それくらい切迫というか、何も見えない毎日が続いていたんだなと、その時感じた。

思い出せばあの頃、まいっていた心やどうしようもない無気力に手を差し伸べてくれていたのは、夜中に1人で聞いていた音楽だった。

昔から音楽を聞くのが好きで、歌うことも好きなのは、恐らく母の影響だろう。小さい頃家族で出かけた車の中には、家族それぞれの好きな音楽が順番に流れていた。余談で父親は恐ろしい音痴だったが、それが遺伝しなくて本当に良かったと思う。そうして今でもずっと、音楽は生活にとって大切なパーツだ。

 

そして気に入った曲は、次の「ハマり曲」が出てくるまで何回もリピートしてしまう性分である。一年前は、暗く静かな曲のほうが精神的に聞きやすく、そんな曲ばかり再生していたような気がする。聞いている音や言葉と、その時の自分の感情が重なる時、その曲は自分の中で特別なものになる。時に助けられたり、救われたりする。日常の一部分でも、薄く色をつけてくれる。


今絶賛リピート中なのは、tacicaの「群青」という曲だ。8月末に発売されたミニアルバムに収録されている。  tacicaの曲や歌詞は、「あ、なんかいいな」と素直に思うことが多い。傍目では難解な歌詞のように思えるが、分かりそうで分からないその真意を知る前に、「なんかいい」が心地良い。その「なんか」が何なのかは上手に言葉にはできないけれど、心にすっと入り込んでくる、とは多分こういうことを言うのだろう。

 


tacica 『群青』(Music Video)

無我夢中に体温が上がって下がる毎日に

余計なモノなど持たないで走り終えることはないのだろう

 

子供が大人になり、大人の生きる時間が一瞬なのは、新しいことや変化から遠ざかるからだと聞いたことがある。まだ年老いたとまではいかない僕でも、その意味は少しずつ、身を以て実感している。

 

今、多くの日常は平坦で、劇的なことは少ない。かといって一年前の日々に戻りたいかと言われればそうでもないから、勝手な話だと思う。

だからこそありきたりの中に、少しでも多くのことを見つけ、心に落とし込んでいけるよう過ごしていく必要がある。それは言葉にできないような「なんか」であったり、時に無くてもいい余計なモノだとしても、それを持ち合わせられる余裕くらいがある方が、寧ろ良いのではないかと思うのだ。

 

 

新しい森(通常盤)

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